節を分ける日
モノの狭間

こんにちは、上尾市議 尾花あきひとです。

列島では春一番が吹いたニュースも聞こえ、例年以上の暖かな陽気です。
立春前日は、地元商店会が主催する節分祭にお招き頂きました。

 

仲町・愛宕商店会はじめ 各種団体の運営に感謝いたします

 

私も仲町商店会のメンバーとして設営に参加しておりますが、議員となってからは 豆まき役という貴重な機会も頂いています。

亥年生まれの私。
上尾に福を呼び込むよう 気合を入れて豆まきにトライしました。
4年目ともなると少し慣れてきたので、会場中に届くようコントロールも意識してみました。

 

 

熱気に包まれ「まんべんなく撒けるか」必死です

 

 

豆まきの由来には諸説ありますが、この節分の風習 個人的に好きなのです。 

人間(ホモサピエンス)は知らない集団同士でも価値観を共有できるのが特徴とされ、様々なものに名前をつける事で形を捉え 共有しながら社会を作ってきたといわれます。
(映画の「千と千尋の神隠し」にも 名前を奪ったり隠したりする話がありました)

だからこそ、民間伝承では「昼と夜の間」や「冬と春の間」といった「モノとモノの狭間」には 油断すると得体の知れないものが忍び寄る という話があるのです。

そこで、そういうものには「鬼」や「魔」と名前を付けて、魔(ま)を滅(め)っする「マメ」をぶつけて邪気を払おう!というのが節分の習わし。

そんな説も紹介させて頂きました。

 

 

「モノとモノの狭間」といえば、現代社会の情報化は、便利な反面 複雑なものや割り切れないものも「AかBか」と単純化する 危険な面を持っています。

政治には決断力が重要と思いますが、ものをハッキリ割り切ると伝達力向上の一方で 必ずこぼれ落ちるモノが出てきます

学生時代打ち込んだ映画製作は、世の中からこぼれ落ちた「名前のないモノ」「いびつなモノ」にスポットを当てるところが醍醐味でした。

あの頃と異なる 合意形成・多数決に基づく世界で挑戦を続けていますが、声なき声を捉え 複雑なものにも丁寧に向き合う姿勢こそ大切と確認しつつ・・・
思いにひたる間もなく 元気に子供達が手を伸ばしていたので、サイドスロー気味に一投!

そんな平成31年の節分でした。

 

 

残り3ヶ月を切った平成
大きな節目に向かい、皆さんと一緒に 次の時代へ踏み出していければと思います。

人生100年時代となると豆を食べるのも大変ですが、昔の人の精神にならって健康第一でいきましょう。

皆様も季節の狭間、風邪などには くれぐれもご注意ください